夕飯の時間を少し過ぎたころだった。
リビングには、炊飯器の保温の音だけが小さく残っていた。
テーブルの上には、学校からのプリントと、畳みきれていない洗濯物が置いてあった。
「今日、外で食べない?」
妻が何気なく言った。
その声は、軽かった。
疲れている日の、少しだけ楽をしたい声だった。
子どもたちは、すぐに反応した。
「行きたい」
「どこ行くの?」
その声が重なって、リビングの空気が少し明るくなった。
さっきまで宿題のことで少し不機嫌だった下の子まで、顔を上げていた。
ぼくも、行きたいと思った。
今日はもう、家でご飯を作る気力もなさそうだった。
妻の顔にも、少し疲れが出ていた。
外で食べれば、片づけもしなくていい。
子どもたちも喜ぶ。
たまにはいいよな、と思った。
思ったのに、すぐに返事ができなかった。
ぼくはテーブルの端に置いてあった財布を見た。
見ただけのつもりだった。
でも、気づいたら手が伸びていた。
財布を開いた。
中に入っているお札を、指で少しだけずらした。
小銭入れの重さも、なんとなく確かめた。
「どこ行く?」
上の子が聞いた。
もう行くことが決まったみたいな声だった。
ぼくは財布を閉じた。
閉じる音が、思っていたより大きく聞こえた。
「うーん、どうするか」
そう言った。
行かないとは言っていない。
でも、行こうとも言っていない。
中途半端な返事だった。
妻がこちらを見た。
何かを言いかけて、やめたように見えた。
その表情だけで、少し胸が重くなった。
外食くらい。
その言葉が、頭の中に浮かんだ。
外食くらい、行けばいい。
毎日じゃない。
たまにのことだ。
でも、今月は学校の集金があった。
子どもの靴も買った。
電気代のお知らせも、思っていたより高かった。
週末には、車の給油もしないといけない。
ひとつひとつは、仕方ないお金だった。
でも、仕方ないお金が重なると、急に財布の中が心細く見えた。
「やっぱり、家で何か作る?」
妻が言った。
その声は、責めているわけではなかった。
むしろ、先に引いてくれた声だった。
それが、余計にきつかった。
「いや、別にいいよ」
ぼくはそう言った。
別に。
その言葉が、自分でも嫌だった。
楽しみにしていた子どもたちの顔が、少し止まった。
下の子が、持ちかけていた上着をソファに置いた。
その動きが、やけにゆっくり見えた。
「どっち?」
上の子が聞いた。
ぼくはすぐに答えられなかった。
財布はもう閉じているのに、頭の中ではまだ中身を数えていた。
リビングの時計が、コチ、と鳴った。
炊飯器の保温ランプが、静かに光っていた。
妻はキッチンの方を見て、子どもたちはぼくを見ていた。
家族で外食するだけの話だった。
本当に、それだけの話だった。
それなのに、ぼくは財布を先に見てしまった。
テーブルの上の財布は、閉じたままそこにあった。
でも、さっき開いたときの中身だけが、まだ目の奥に残っていた。
あとがき
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
家族で外食するだけなのに、先に財布や家計のことが頭に浮かぶことがあります。
楽しみたくないわけじゃない。
むしろ、家族が喜ぶ顔は見たい。
でも、学校の集金、光熱費、ガソリン代、子どもの買い替え。
小さな出費が重なっていると、たまの外食まで少し重く感じてしまうことがあります。
ぼくも、食費や外食費だけを我慢で削るより、毎月勝手に出ていく支払いを整える方が先だと思っています。
無理に楽しみを削る前に、固定費や支払いの流れを一度見る。
それだけでも、家族との時間を少し楽しみやすくなるかもしれません。
同じように、暮らしの支払いが重く感じている方はこちらの扉からどうぞ。
