夕飯のあと、娘が一枚のプリントを持ってきた。
少しだけ端が折れていて、ランドセルの奥から引っぱり出したのが分かった。
テーブルの上に置かれた紙には、明るい色の文字が並んでいた。
「これ、友だちが行ってるんだって」
娘はそう言って、わたしの顔を見た。
その声は、思っていたより小さく弾んでいた。
まだ決まっていないことを、もう少しだけ楽しみにしている声だった。
わたしはプリントを手に取った。
新しい習い事の案内だった。
体験日、曜日、持ち物、月謝。
最初に見たのは、月謝のところだった。
次に見たのは、曜日だった。
その次に、壁のカレンダーを見た。
月曜日には上の子の習い事。
水曜日には下の子の送迎。
金曜日には学校の予定。
土曜日には、たまった洗濯と買い物。
白いはずのカレンダーが、思っていたより埋まって見えた。
「行ってみたいの?」
そう聞くと、娘は少しだけうなずいた。
「友だちと一緒なら、できそう」
その言い方が、かわいかった。
新しいことを始める前の、少し不安で、少し楽しみな顔だった。
本当なら、すぐに言ってあげたかった。
いいよ。
体験だけでも行ってみようか。
その言葉は、ちゃんと頭の中にはあった。
でも、口からは出なかった。
月謝だけじゃない。
送迎の時間。
夕飯の時間。
下の子をどうするか。
今ある習い事との重なり。
考えようとしなくても、勝手に頭の中で予定が並んでいった。
娘はプリントの端を指でなぞっていた。
その指が、少しずつ止まっていくのが分かった。
わたしの返事が遅いからだと思った。
「無理ならいいよ」
娘が言った。
胸の奥が、きゅっとした。
まだ何も断っていない。
でも、もう断ったみたいな空気になっていた。
「無理ってわけじゃないよ」
そう言った。
嘘ではなかった。
でも、本当でもなかった。
無理ではない。
きっと、やろうと思えばできる。
でも、そのために何を削るのか、すぐには分からなかった。
娘は「じゃあ、あとで見て」と言って、プリントをテーブルに置いたままリビングを出た。
廊下の向こうで、スリッパの音が小さく消えた。
テレビの音だけが、部屋に残った。
わたしはもう一度カレンダーを見た。
何も書いていない空白の日まで、予定で埋まっているように見えた。
プリントの上には、体験日の丸印がついていた。
その丸だけが、妙にはっきり見えた。
わたしはペンを持った。
でも、カレンダーには何も書けなかった。
娘が置いていったプリントの角だけが、テーブルの上で少し浮いていた。
あとがき
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
子どもの「やってみたい」は、できるだけ応援してあげたい。
でも、習い事は月謝だけでは終わらないんですよね。
送迎の時間。
兄弟の予定。
夕飯の段取り。
すでに入っている習い事や学校行事。
お金のことだけでなく、家族全体の予定まで一気に頭に浮かんでしまうことがあります。
ぼくも、教育費は気持ちだけで抱えようとすると苦しくなると思っています。
子どもの気持ちを大切にしながら、家計と予定を分けて見てみる。
それだけでも、少し考えやすくなるかもしれません。
同じように、子どもの習い事や教育費が気になっている方はこちらの扉からどうぞ。
