スーパーの袋を、台所の床に置いた。
中身は、いつもと同じだった。
豆腐。卵。牛乳。食パン。もやし。明日の朝に使うもの。夕飯に出すもの。特別なものなんて、何もない。
それなのに、袋は少し重かった。
買い物の帰り道、ずっと思っていた。
「今日、そんなに買ったっけ」
レジで言われた金額を、ちゃんと覚えているわけではない。
でも、財布からお札を出したときの、あの小さな引っかかりだけは残っていた。
前は、こんなことまで考えなかった。
牛乳をカゴに入れるたびに値段を見たり、卵の前で少し止まったり、魚のパックを手に取って戻したり。
そんな買い物じゃなかった気がする。
もっと普通に、買っていた。
もっと軽く、暮らしていた。
台所の電気をつけて、エコバッグから食材を出した。
冷蔵庫に牛乳を入れる。卵を割れないように奥へしまう。豆腐を棚に置く。食パンをいつもの場所に置く。
何も変わらない、いつもの動き。
でも、エコバッグの外ポケットに入れたレシートだけは、なかなか取り出せなかった。
見れば分かってしまう。
今日、何にいくら使ったのか。
前よりどれだけ高くなっているのか。
「普通に買っただけ」のはずなのに、どうしてこんなに重く感じるのか。
分かってしまう。
子どもがリビングから声をかけた。
「今日、魚?」
「うん、魚」
そう答えながら、私は魚のパックを冷蔵庫に入れた。
値引きシールが貼られている方を、なんとなく下に向けた。
別に、誰に見られるわけでもないのに。
夕飯の準備をしながら、頭の中ではずっとレシートのことを考えていた。
見ないなら、捨てればいい。
そう思った。
エコバッグの外ポケットに手を入れて、くしゃっとした紙を取り出す。
広げなかった。
数字を見なかった。
そのまま、台所のゴミ箱に入れた。
捨てた瞬間、少しだけ楽になった気がした。
でも、本当は違った。
レシートを見なかったからといって、お金が戻るわけじゃない。
数字を見なかったからといって、暮らしが軽くなるわけじゃない。
分かっていた。
ほんとは、全部わかっていた。
見ないフリをしていただけだった。
ご飯をよそって、味噌汁を温めて、食卓に並べた。
家族はいつも通りだった。
テレビの音。箸の音。子どもの話し声。
何も変わっていないように見える夜。
でも私は、ゴミ箱の中に丸まったレシートのことを、何度も思い出していた。
今日の買い物が高かったことよりも。
レシートを見られなかった自分の方が、少し苦しかった。
普通に暮らしているだけなのに。
どうして、こんなに見たくないものが増えていくんだろう。
その夜、私はゴミ箱を見ないようにして、台所の電気を消した。
でも、消えたのは電気だけだった。
見ないフリをしてきた気持ちは、暗くなった部屋の中に、まだ残っていた。
【あとがき】
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
レシートを見ずに捨てる。
それは小さなことに見えるけれど、ぼくには「本当は気づいているのに、見ないフリをしている」サインのように思えます。
毎日の買い物を、根性で削り続けるのは本当にしんどいです。
だからこそ、見るべきなのは「今日の数百円」だけではなく、暮らしの仕組みそのものかもしれません。
光熱費、家計の流れ、毎月勝手に出ていくお金。
そこを一度見直すことで、暮らしの重さが少し変わることがあります。
